ああ、寝不足だ。
朝6時に目が覚めてしまった。
もう少し寝たかったな、と心の中でつぶやきながら上着を羽織る。
ストーブに火をつけ、エアコンを入れて寒さをしのぐ。
抹茶をすすり、冷蔵庫の残り物を食べて、朝が始まった。
部屋にはお醤油の香りが残っている。
私が起きる前に、娘は自分で朝食を作って食べたのだろう。
ふと愛犬ミーのトイレを見ると、珍しくペットシーツがくしゃくしゃに散らばっていた。
最近、山へ散歩に連れて行ってあげていなかったな、と思う。
用事や出来事が重なり、知らないうちにミーに我慢させていたのかもしれない。
一つひとつ丁寧に拾い、汚れたものを袋に集めてきれいにする。
ばらばらになったペットシーツは、簡単に元に戻る。
もしかしたら、ばらばらになった思考や心も、同じように整え直せるのかもしれない。
好きなYouTubeを見ながら、のんびり過ごした。
実は、のんびりしている場合ではない。
私は無職で、在宅ワークを選んだ。
新しいパソコンも買った。
セットアップしなければいけないのに、なかなか手がつかない。
「在宅ワーク頑張るぞ」という気持ちより、
「できるかなぁ」という不安のほうが強いのだろう。
本心は行動に現れる。
それを私は知っている。
少しだけIndeedを開くと、スカウトがいくつか届いていた。
でも、まだネット環境も整っていないし、セットアップも終わっていない。
見ても無駄だと思い、閉じた。
そして、だらだらとした時間に身を任せる。
昼食を食べると眠くなり、布団に入って本格的に寝た。
みんなが仕事をしている時間に、私は布団の中でぬくぬくしている。
その奇妙な優越感。
怠惰は一見、魅力的だ。
幻の自由さえ感じる。
そのときLINEが届いた。
「新しいからだ。中トロ入ったよ」
「お昼寝して起きてから行っていい?」
「寝るのかい」
「寝る」
「いいよ」
結局、夕方まで寝てしまい、ちょうど夕食時に目が覚めた。
新しい母の手料理をまたいただく。
変わらない昭和の家庭料理。
彼女の名前は「常」。
名前の通り、揺るがない人生を送っている。
長い看護師生活で多くの高齢者を見てきたが、
長生きして元気な人ほど、名前の意味に沿った人生を歩んでいることが多い。
名前は運命なのか。
それとも、生き方の指針なのか。
親の願いが、無意識に受け継がれているのかもしれない。
娘の名前は「亜青」。
北京市内の病院で生まれた。
正午の北京の空は、驚くほど青く澄んでいた。
「亜細亜の青空」
その言葉を短くして「亜青」と名付けた。
彼女は、青空のように綺麗好きに育った。
平成生まれの娘には障害があり、
一般的な意味では働いていない。
それでも彼女は、日々の生活の中で美しさに感動し、
美しいものを作り、幸せを感じて生きている。
その姿を見ていると、
働くことと幸せは必ずしも同じではないのだと、静かに教えられる。
幸せの形は一つではない。
そのことを、私はこれまで出会った人たちから何度も教えられてきた。
田中町子さんは専業主婦だった。
子どもはいなかったが、地域のボランティア活動に長年尽力し、
「町」に根ざして生きてきた人だった。
ご主人が亡くなった後、彼女の活動は海外へ広がった。
当時すでに70代だったが、80歳まで精力的に活動を続けたという。
「元気いっぱいだった」
そう彼女自身が振り返っていた。
名前の通り、町に尽くす人生だったのだろう。
転機はある夏に訪れた。
思い立ってエアコンの掃除をした際、大量の埃を吸い込んでしまったらしい。
その後、彼女は肺炎を発症した。
回復後も呼吸状態は完全には戻らず、
後遺症として気管支拡張症を残した。
現在は常時酸素吸入が必要な生活を送っている。
喀痰は非常に多く、
ティッシュで拭うと一日でゴミ袋が三つ分になることもある。
ベッドからトイレまでの短い移動でさえ、強い息切れを伴う。
つねちゃんは、もう三年も寝たきりのご主人を介護している。
それでもへっちゃらだ。
昨夜、ご主人が言った。
「起きてくれなんだ。おむつの中におしっこした」
私も娘もつねちゃんも、スルースキルが高い。
同じことを何度も言っていたが、すべて受け流した。
今どき、在宅介護で夜中に尿器を当ててくれる人がどれだけいるだろう。
つねちゃんは毎晩起きて対応している。
本当にすごい人だ。
勝浦では時々、黒マグロが上がる。
今日はその日だった。
やはり黒マグロはおいしい。
作り置きのお惣菜と豚汁まで持たされて帰宅する。
いつも我が家の分も用意してくれている。
帰り際、私は言った。
「つねちゃん、ソフトバンクに乗り換えようね。今月中がいいよ」
「私はいつでもいいよ」
そう言うけれど、つねちゃんは忙しい。
介護士や看護師の訪問、通院、友達との買い物。
一週間の予定はびっしり詰まっている人だ。
お腹も心も満たされ、
珍しく一人で温泉に行った。
ふう、最高だ。
静かに幸せを感じていた。
昭和の
「働かざる者食うべからず」
そんな価値観よりも、
私は自然な幸せを選んだ一日だった。
今日は記念日だ。