港区に住んでいると言うと、たいてい羨ましがられる。
富裕層、キラキラした街、成功者の象徴。
けれど、私の朝はカラスの鳴き声に叩き起こされるところから始まる。
何十年住んでも慣れない。甲高い声が眠りを引き裂き、不機嫌なままベッドを出る。
次の瞬間、心がほどける。
柴犬の美衣がリビングで尻尾を振り、私を待っている。
桜田通りへ出て、慶應義塾女子高の角を曲がる。
早朝の道にはまだ車が少ない。
自由になった美衣は嬉しそうに駆け回り、少し離れては必ず振り返る。
地面を蹴る軽やかな足取りに、ビル街の湿った空気が少し和らぐ。
排気ガスを受け止めながらも、街路樹は黙って青々と葉を広げている。
ここでは誰もが懸命に生きている。
木々でさえも。
小さな公園に着くと、美衣はどこからか見つけたゴルフボールを足元に置く。
投げるたびに全力で追い、誇らしげに持ち帰る。
その姿には、山野を駆けていた柴犬の血が確かに流れている。
空が明るみ始めるころ、リードをつける。
帰宅の合図だ。
犬を連れた人たちが現れ、街はゆっくり昼の喧騒へ向かって動き出す。
私は知っている。
美衣が我慢していることを。
本当はもっと自由に走りたい。
けれど、街の中ではそれができない。
そしてそれは、私自身の姿でもある。
テレビが描く華やかな港区のイメージとは裏腹に、
ここで暮らす毎日は小さな我慢の積み重ねだ。
湿気をまとった空気の中でタクシーが走り始める。
部屋に戻り、美衣にごはんを与え、私はシャワーを浴びる。
夜明け前を自由に走った彼女と入れ替わるように、
私は今日も満員電車へ吸い込まれていく。
港区に住んでいると言うと、特別な暮らしをしていると思われることが多い。
けれど現実には、ここで暮らす人の多くが庶民的な生活をしている。
スーパーで値段を見比べ、満員電車に揺られ、湿気の多い空気の中で一日を終える。
テレビや雑誌が描く港区の姿と、
私が毎日歩いている街との間には、静かな距離がある。
港区は憧れの舞台である前に、
誰かの日常の場所なのだ。