選択の日 運ではなく、選択で生きる

選択の日35日目 運ではなく、選択で生きる

「ミイ、今日はご飯を買いに行こう」

今日のミイの散歩は、岬まで行くことを選んだ。

岬までの山々は、茶色と薄い緑に、うっすらとピンクが混ざった色になっていた。もう春が近い。山桜が咲き始めている。

灯台のある岬まで、山道を上がっていく。ミイは道を覚えていて、嬉しそうに尻尾を振っている。岬は公園になっている。駐車場に着いて車のドアを開けると、ミイは勢いよく飛び出していった。私が公園の入口に着くと、ちょこんと座って待っていた。

そして、新芽が出始めた芝生の上を自由に駆け回るミイ。柴犬が枯れた芝生の上を走り回ると、擬態してしまう。

そんなミイを横目にしながら、私は海岸へと続く道を歩いていった。道は土ではない。岩なのだ。岩から苔や植物や木が生えている。要するに、私は石の上を歩いているのだ。その私をちらっと見ながら、ミイは山の中を走り回っている。その姿は猟犬そのものだった。ソファーの上でお腹を出して寝転がり、爆睡しているミイとはまるで違う。

この辺の山の木は、大木が少ない。この土地に来て、岩から植物が生えるのを初めて見た。私は、植物は柔らかい土にしか生えないものだと思っていた。植物の生命力、いや、たくましさを目の当たりにして感嘆した。大木にも劣らない、いや、もしかしたらそれ以上の生命力かもしれない。

親ガチャと若い人は言う。では、岩の上に落ちた種や胞子は、外れだったのか。岩から落ちた経験がある人は五万といるが、亡くなった人は不運だったのか。

医療は、人間がミスをすることを前提に安全管理されている。ヒューマンエラーは必ず起こる。だからヒヤリハットを報告し、その段階で改善点を検討し、実行し、評価する。インシデントを未然に防ぐためだ。

生き物には、栄養以外のエネルギーが大きく影響しているのだと思う。そのエネルギーが何なのか、私にはわからないけれど。

そんなことを考えながら、海岸にたどり着いた。水平線が広がっている。晴れた空の下にはマリンブルーの海。そして岩に打ちつける白波。一定のリズムで波が海岸に広がっていく。見渡す限りの景色の中で、人間は私一人。地球が私だけのもののような気分になる。

私は景色に見入っていたが、ミイはその場所の危険を知っていた。

ふと、「光っているところが危ない」という祖母の言葉が浮かんだ。

あ、いけない。

私は携帯電話を持ってくるのを忘れていたことに気がついた。もし何かあったとき、連絡手段がない。私は以前、この海岸で骨折をしている。その時も携帯電話がなかった。誰かに発見されるのを待つしかなかった。幸い、すぐに釣り人に見つけてもらい助かった。私は懲りない人間だ。

私は運がいい人なのか悪い人なのか、よくわからない。

中学1年生の時、小春日和の中、クラスメート40人がベランダでひなたぼっこをしていた。そして私の頭に何かがぶつかった。落ちたものを見ると、工具ののみだった。刃ではなく、柄の部分が頭に当たったのだ。見上げると、工事の人が「ごめん、ごめん」と謝った。保健室に行くと、たんこぶで済んだ。

確率は40分の1。でも大怪我にはならなかった。頭に当たったことは不運だったが、大怪我をしなかったのは幸運だ。

何げなく岩場を眺めていると、岬の先に釣り人がいた。もう一人、人間がいた。私はとてもとても、あそこまでは行けない。もし高波が来たら、一発でさらわれてしまう。心の中で静かに彼の無事を祈る。

さあ、帰ろうか。

ミイは海岸では私のそばを離れない。ミイにとって、海は怖い場所なのだ。私が骨折した時も、一緒にいてくれたのはミイだった。ミイは危険だとわかっているのだろうか。

海岸から離れると、ミイはまた野生の猟犬に戻り、生き生きと走り回った。

ミイは考えない、でも間違えない。

人間は考える、だから迷う。

歩きながら考えていた。中学生の時の、不運か幸運かわからなかった出来事。その経験は私にとって、とても強烈だった。どうしたら運を引き寄せられるのか、私はかなり勉強した。引き寄せの法則なるものが流行り出す前からだ。

私は、運についてはもう悟りの境地にある。

失敗から学び、今を生きる中で、ベストだと直観的に思うことを選択する。日常はその連続なのだと。選択を間違えたと気づけたら幸いで、また選び直せばよい。実にシンプル。

今日、常ちゃんの家でこの岬の話をしたら、ご主人のご兄弟が、伊勢海老を取りに海に入り、そのまま亡くなったと聞いた。

選択はいつも結果のあとに、意味を持つ。

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