アルコール依存症 高校生 喪失と、再飲酒の始まり

高校生 喪失と、再飲酒の始まり

――父の死が開いた扉

1978年7月14日、真夏の暑い日だった。

私は家のベランダで、卓球部の友達とスプライトを飲みながら、たわいもない会話をしていた。

そこに、母の弟――叔父の車が止まった。

「すぐに病院へ」

私たちは急いで戸締りをし、叔父の車に乗り込んだ。父のいる病室へ向かった。

病室には、すでに親族が集まっていた。

父は、苦しそうに息をしていた。

私は唖然とした。

――胃潰瘍でしょ?

心の中でそうつぶやいた。

父は8人兄弟。その長女が、父に向かって静かに言った。

「もう苦しまなくていいから、休みなさい。安心しなさい」

私は心の中で叫んだ。

――おばさん、なんてことを言うの。お父さん、死んじゃうじゃない。

その直後だった。

父の呼吸が、静かになった。

すると医師が、私たちの目の前で父の胸に注射を垂直に刺した。

しばらくして、父の目が開いた。

そして、柵につかまりながら体を起こし、私たち一人ひとりの顔を見た。

まるで、最後の確認をするように。

次の瞬間、力が抜けるように、頭が枕へと沈んだ。

呼吸が止まった。

「ご臨終です」

医師の声が響いた。

私は医師に駆け寄った。

「なんで胃潰瘍が治せないの!みんな治るのに、なんで治せなかったの!」

気が狂ったように叫んでいた。

親族は静かに泣いていた。

私だけが、泣いていなかった。

怒っていた。

葬儀の日、近所の人たちが手伝いに来てくれていた。その会話の中で、私は初めて知った。

父は、胃癌だった。

母も兄も、私に隠していた。

私は一人で火葬場の煙突を見上げていた。

真夏の空にのぼる煙。

――あれがお父さんなのか。

私は高校の新しい制服を着ていた。

こんな状況の中でも、私は推薦で高校に合格していた。

父の葬儀が終わると、父の友人たちが家を訪れるようになった。

「お父さんの代わりに、一緒に飲もう」

「今日から君がお父さん役だな」

そんな言葉とともに、家での飲み会が始まった。

親族、父の友人、母の友人。

私はその中にいた。

そして、どんどん酒に強くなっていった。

少々の量では酔わない。

高校生になると、テスト後や休みの前には自然と飲み会が開かれるようになった。

その中で、友人たちは酔いつぶれ、記憶をなくし、倒れていった。

私はいつも、介抱する側だった。

――なんで、こんなになるまで飲むんだろう。

不思議だった。

まさか自分が、同じ姿になるとは思っていなかった。

ただ、理解できなかっただけだった。

私はまだ知らなかった。

この「強さ」が、いずれ自分を壊していくことを。

――ここから少し、アルコールについて書いておきたい。----------------------------------------------------------------

アルコールには、強い体質と弱い体質があると言われる。

しかし私は、アルコール依存症に関しては、それは本質ではないと考えている。

体質の強弱に関係なく、「反応」は起きる。

いわば、アレルギーのようなものだ。

血中アルコール濃度が上がることで起きる脱抑制、吐き気、せん妄。

それ自体は、アルコールの作用であって、病気ではない。

問題はその先にある。

正常な飲酒者と、アルコール依存症者の決定的な違いは――

進行するかどうか。

同じように飲んでいても、ある人は止まり、ある人は進んでいく。

そして依存症の場合、その進行は止まらない。

アルコール依存症は、進行性の病気なのだ。

だからこそ、「飲める・飲めない」という二分ではなく、

連続した状態――スペクトラムとして捉えなければ、本質を見誤ることになる。

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