代替依存という静かな進行
実は、父の病気はただの胃潰瘍だと知らされていた。
そんな深刻な病気を抱えている家庭だとは、思ってもいなかった。
母に言われるまま、消去法で卓球部に入った。
水泳で鍛えた体は、卓球でも活かされた。
県大会に出場できるかどうかというレベルまで到達していた。
卓球は、お酒より好きだった。
中学生の頃、私は一度も飲んでいない。
ただ、試合になると極度に緊張し、実力が発揮できなかった。
それが一番の悩みだった。
勉強は、しなくてもそこそこできた。
しかし母は、深刻な顔で言った。
「大学に行かせられるのは、お兄ちゃんだけ」
私も獣医になりたかった。
進学校に行ける偏差値もあった。
でも、父が入退院を繰り返していた。
母の事情は、言葉にされなくても分かっていた。
私は、部活も勉強も家事も、すべてこなしていた。
1週間の食費は5000円。
それでも、兄のお弁当が「おかずが多すぎる」と言われるくらい、やりくりしていた。
時々、親戚が手伝いに来てくれたが、
「家事が完璧だ」と褒められた。
普通なら反抗期の年頃だ。
でも私は、わがままを言えなかった。
どこから見ても優等生だった。
それなのに、なぜか教師には嫌われていた。
担任は、私の忘れ物を皆の前であえて指摘し、笑いの種にした。
家庭の事情など、知るはずもない。
この時期、私は一滴も飲んでいない。
大好きなお酒を断つことで、
父が回復することを、どこかで願っていたのかもしれない。
しかし私は知らなかった。
この「飲まなくても成り立っている状態」が、
いずれ崩れる日が来ることを。
――そしてもう一つ、気づいていなかったことがある。
私はすでに、別のものに依存していたということに。
アルコール依存症者の話を聞くと、
「自力で断酒できているから、自分は依存症ではない」
そう語る人が多い。
確かに、1年、2年、時には3年ほど、酒をやめることはできる。
しかしその間、必ず何かが代わりになっている。
それが、代替依存だ。
対象は、とても身近なものだ。
趣味、買い物、ギャンブル、
最近ではネットやジム、恋愛。
そして時には、薬物にまで及ぶ。
アルコールをやめているという事実が、
「自分は大丈夫だ」という錯覚を生む。
しかし実際には、依存の対象が変わっただけだ。
これが、この病気の最も巧妙で、静かな進行の形である。