アルコール依存症 学童期 “うまくいく感覚”の始まり 

学童期 “うまくいく感覚”の始まり

小学校に入学すると、身の回りの支度はすべて母がやってくれていた。ランドセルに教科書を詰めることも、持ち物の点検も、私は何ひとつしていなかった。ただランドセルを背負って登校するだけだった。

あまり記憶はないが、ウサギ小屋にいたことだけは覚えている。母の話では、授業中に座っていられず、ウサギ小屋で世話をしているような子どもだったらしい。

放課後は、私一人が教室に残り、先生の手伝いをしていた。先生はご褒美に、余ったパンや牛乳を食べさせてくれた。会話の記憶はほとんどない。それでも、その時間はどこか秘密のようで、私にとっては嬉しいひとときだった。

走ることが苦手で、いつもビリだった。そんな私が、夏になりプールに飛び込んだ時、まったく違う自分が現れた。

私は泳ぐのが速かった。

顔を水につけるのが苦手だった私は、背泳ぎが大好きになった。適当に手足を動かしているだけなのに、体がすいすいと前に進んでいく感覚があった。

ある日、日曜日なのに先生が迎えに来ると言う。母はお弁当と水着を用意して待っていたが、私は何が起きるのかまったく分からなかった。

連れて行かれたプールの周りには大勢の人がいた。そして私の名前が呼ばれ、先生に手を引かれてスタート台に立たされた。

「心の中で“いち、に、いち、に”と数えながら手を動かしなさい」

先生の言葉どおりに体を動かした。

結果は一位だった。

月曜日の朝礼で、全校生徒の前に立たされ、首に金メダルがかけられた。嬉しいというより、どうしていいのか分からず、ただ固まっていた。

それから私は、クロール、平泳ぎ、潜水と泳ぎを覚えていった。さらに作文や感想文、絵やポスターなどでも表彰されるようになった。

何が良いのか、本人にはさっぱり分からない。それでも私は、近所では有名な子どもになっていった。

そして、毎年のお正月。神社のお神酒の場で、地元の人たちは、私にお神酒を差し出すようになった。

六年生になる頃には、「委員長」という肩書もついていた。

あの頃、私はまだ知らなかった。

「できる自分」と「飲むことで作られる自分」が、同じ構造でつながっていくことを。

しかし、その肩書とは裏腹に、父には病魔が忍び寄っていた。

胃癌、余命三か月。

――ここから先は、少し視点を変えて書いてみたい。------------------------------------------------------------------

アルコール依存症者の話を聞いていると、共通していることがある。

それは、「うまく飲めている時期」が必ずあるということだ。

むしろ、アルコールを飲むことで、一時的にパワフルになる。なりたかった自分になれる。人と話せる。リラックスできる。才能が開花したような感覚さえある。

つまり、アルコールは最初から「悪いもの」として現れるわけではない。

必ず「プラスに働く時期」がある。

しかし、その裏側で、もう一つの変化が起きている。

飲まなければいられない状態。

素の自分では人と関われない。まるで対人恐怖や社会不安のような状態になる。

だから、飲む。

そして、「これは自分にとって必要なものだ」と正当化する。

この構造そのものが、依存の形成なのだと思う。

アルコールは、最初は自分を助ける。

しかし、気がついた時には、それなしではいられなくなる。

私は、この仕組みこそが、アルコール依存症の最も残酷な病態だと感じている。

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