選択の日32日目 焦る日
生活リズムも整い、いつでも就業できる状態になって、早くも二か月が過ぎた。
ということは、もう三か月目になる。
新しいパソコンを購入し、履歴書も職務経歴書もAIでさっと書けるようになった。
スカウトも毎日三社か四社来る。
クラウドワークスにも、ココナラにも登録した。
相談も来るようになった。
しかし、実際の収入はゼロだ。
ココナラの人生相談は相談件数0。
むしろ私の方が相談したいくらいの心境である。
焦らなければ。
今日は「焦る日」にしよう。
とにかく仕事がしたい。
看護師だった私には、働くことは当たり前だった。
この免許と若さは最強だった。
介護保険制度が始まり、病院から施設看護、在宅看護へと時代は変わった。
その流れは、私の読み通りだった。
そんな私が、就業に困る日が来るなんて思ってもいなかった。
この過疎地では仕事の多くが最低賃金だった。
看護師もヘルパーも、大きな差はない。
それは私のプライドが許さなかった。
そして医療は令和ではなかった。
まるで私が免許を取った時代の医療だ。
痛み止めはいくらでも種類がある。
今どき痛みに耐える必要などない。
それなのに処方されているのは中程度の鎮痛薬。
痛みに耐えるのが当たり前。
そんな患者さんの姿を私は見たくなかった。
移住してから、私は患者にもなった。
海に落ちて、大腿骨頸部骨折。
さらに踵の粉砕骨折。
人工骨頭置換術。
かかとはプレート固定。
三か月の入院。
二度の手術。
医師は言った。
「車の運転も、歩くこともできないでしょう。」
私は強い痛み止めを処方してほしいと頼んだ。
医師は取り寄せてくれた。
整形外科にこの薬が置いていないなんてありえない。
東京では当たり前に使われている薬だ。
私はギプスが固まらないうちに、足の指が動く程度に少し緩めた。
ふくらはぎの筋肉を守るためだ。
足の指を動かし続けることは、その後のリハビリに大きく影響する。
これは看護師時代、先輩ナースから教わったことだった。
心臓手術の患者さんでも、集中治療室で絶対安静のときに
足の指だけは動かすように伝える。
それだけで、リハビリ期の回復は大きく変わる。
私はそれを知っていた。
この病院のリハビリの中で、平気な顔でリハビリをしている患者は私一人だった。
リハビリメニューも自分で考えた。
理学療法士はそれを任せてくれた。
私は日常生活リハビリを取り入れ、
毎日一時間のリハビリと組み合わせた。
こんなリハビリでは回復できない。
そう思ったからだ。
私は早期退院を願い出た。
そして町の温泉プール付きジムに通った。
右足は左足の半分の太さになっていた。
筋肉をつけるためにプロテインを飲みながら
リハビリを続けた。
三か月後、両足の太さは同じになった。
負荷のキロ数も左右同じになった。
やがて痛み止めも必要なくなった。
私はリハビリを考える側だった。
だから自分のリハビリも難しいことではなかった。
整形外科の疼痛コントロールで、もう一つ大切なことがある。
それは体重コントロールだ。
関節の痛みは、体重の影響を大きく受ける。
理由は簡単だ。
関節は体重を支えているからである。
体重が増えれば、その分だけ関節への負担は増える。
特に股関節や膝関節は、その影響を強く受ける。
これは誰でも分かることだ。
それなのに、多くの医療従事者や患者が、このことを見落としている。
なぜだろう。
痛みというものは、薬で抑えるものだと考えられているからだ。
痛みが出れば鎮痛薬。
効かなければ、別の鎮痛薬。
しかし関節の痛みの場合、
原因は体重そのものということも多い。
体重を少し落とすだけで、
関節の負担は確実に減る。
私は自分の標準体重から、さらに五キロ落とした。
私の適正体重は、標準体重マイナス五キロを選んだ。
やや痩せ気味ではある。
しかし右股関節の寿命を延ばすことを考えると、その方が合理的だった。
関節への負担を減らし、
それでいて筋肉は落とさない。
そのために、運動とタンパク質を意識して生活した。
マイナス五キロは、なるべく食物繊維を摂取することで簡単に維持できた。
右股関節と、これから長く付き合っていくための選択だった。
その後、障害年金の診断書をもらうため病院を受診した。
私に「もう歩けない」と言った医師の前に、
私はパンプスを履いて現れた。
診察室を出て玄関に向かって歩くと、
医師が後ろから歩いてくるのが見えた。
どうやら私の歩き方を確認していたようだった。
生まれた土地で人生は決まるのだろうか。
私には当てはまらない。
どこにいても私は私だ。
私はもう全力で走れない体になった。
人は、走れなくなる日が来ることを想像して生きていない。
最後に全力で走った日が、いつだったのか。
もう思い出せない。
しかし、人間が出来なくなることは走ることだけではない。
食べること。
トイレに行くこと。
それさえ自分の力では出来なくなる日が来るかもしれないのだ。
人は必ず老いる。
必ず病む。
そしていつか誰かの助けが必要になる。
それは若者でもシニアでも同じだ。
ほんの小さな選択一つで、人生は大きく変わる。
だから私は今日、自分ができる最善を選び、丁寧に行う。
そして明日からは毎日仕事をしよう。
どんな単価でもいい。
まず働こう。