15年の闘病の後、サンドイッチを作った
今週は寒の戻りがあり、気温は一桁の日が続いていました。
我が家のストーブはフル稼働です。灯油を買っておいてよかったと思いました。
寒い日が続き、防寒のためベランダのカーテンは半分しか開けていませんでした。
長い間、私の心もどこかで同じように閉じていたのかもしれません。
けれど今朝、私は全部開けてみました。
ベランダのサッシを三枚開けると、外には湾と山が広がります。
我が家の窓は、大きな絵を飾っているようでした。
胸の奥に、久しぶりに安堵の空気が入ってきました。
一戸建てで育った娘は、
「ベランダでくつろぐ生活が夢」
だと言っていました。
娘が小学校低学年のころ、ある出来事がありました。
我が家では一部屋を物置にしていました。
ある日、娘がそこを自分の部屋にしたいと言い出したのです。
夕方四時。
大人の私でも片付けるのに数日はかかると思っていました。
しかし娘は言いました。
「ママは見てるだけ」
「わかったよ。頑張ってみて」
そう言って私は台所に立ち、夕食の準備を始めました。
きっと
「ママ、手伝って」
と言ってくるだろうと思っていました。
どうせ私の仕事が増える。
言い出したら聞かない子だから止めても無駄だ。
そんな否定的な考えが次々と浮かんできました。
すると、誇らしげな顔をした娘が
「部屋を見に来て」
と言いました。
なんと、小学校低学年らしい可愛らしい部屋が出来上がっていました。
ガラクタの中から見つけたのでしょう。
マスコットや飾り物まで、おしゃれに並べてありました。
私は彼女を褒めました。
「すごいね。ママでも無理なことをやったね。本当にすごいよ」
娘は、自分の部屋ができたこと、思い通りの部屋になったことが、とても嬉しそうでした。
それから十五年。
彼女の病魔は、彼女をどんどん蝕んでいきました。
小学生のころ出来ていたことが、中学生になると全く出来なくなっていました。
登校すること。
思いつきで物を買うこと。
お腹が空いても食事の時間まで待つこと。
予定を立てること。
がっかりすること。
退屈すること。
予定が変わること。
人と会うこと。
人の噂話を聞くこと。
彼女はマイナスの感情にとても脆弱でした。
少しでも感情が湧き上がると、彼女は暴れました。
お皿やコップはどんどん減っていきました。
彼女は一日中寝ていました。
しかし眠れてはいなかったようです。
やがてリストカットが始まりました。
彼女は何と戦っていたのでしょう。
今では妄想と戦っていたのだと分かります。
しかし当時の私には全く分かりませんでした。
現実の社会に着地する方法が、リストカットだったのかもしれません。
家庭内暴力が始まり、標的は私でした。
そして措置入院と退院の繰り返しが始まりました。
その後、三年間の入院と一年の施設生活が続きました。
やがて娘は、療養生活の場所に和歌山を選んでくれました。
一緒に暮らし始めても、娘のやりっぱなしや衝動買いは変わっていませんでした。
牛乳をこぼせばそのまま。
食べ物を出せばそのまま。
途中で別のものが食べたくなると、冷蔵庫から次々取り出します。
突然食べたいものを思いつくと、いても立ってもいられずコンビニへ行きます。
ハサミを使えば、どこかに置いたままです。
私の生活は後片付けに追われていました。
鍋や炊飯器の周りは雫でベタベタしています。
とにかく物がなくなっていきます。
片付けるという行為ができないのです。
後で困るという思考もありません。
洗濯はしてくれますが、一人では干せません。
同じ作業の繰り返しにも弱いのです。
退屈というマイナスの感情に、とても脆弱でした。
特に顕著なのが入浴でした。
娘は体や髪を最後まで洗えていませんでした。
石鹸が残っていても、洗ったことになってしまいます。
私は毎日、娘の体や髪を洗っていました。
二十九歳の体を洗いながら、心のどこかで謝っていました。
そして願っていました。
いつか、この手がいらなくなる日が来ることを。
私はこう言いました。
「ママが洗ってあげたいから洗わせて。嫌だったらそれでもいいよ」
これが統合失調症の遂行機能障害です。
脳機能の障害なので、脳が回復しなければ改善できません。
私は過眠傾向の娘を、そのまま眠らせることを選びました。
統合失調症の消耗期。
脳の中では、失われた機能を取り戻そうと細胞レベルで回復が起きているはずです。
そう信じて、約一年三か月を過ごしました。
すると入浴動作が変わっていきました。
娘はムダ毛処理を最後まで行い、浴室でスキンケアもするようになっていました。
完遂していました。
髪も体も隅々まで洗い、石鹸も最後までシャワーで流しています。
完遂でした。
ちょうどその頃、私は虫歯が化膿して寝込んでいました。
娘が言いました。
「私がお料理作る」
料理には多くの実行機能が必要です。
娘が作ったのは、チーズと卵のサンドイッチでした。
半分に切って皿に乗せて持ってきてくれました。
フライパンや皿まで洗ってありました。
遂行機能が回復しました。
やった。
それは娘だけでなく、長い間張りつめていた私の心も、少しほどける瞬間でした。
2017年、私は精神科訪問看護の資格を取るため、日本精神看護協会の講座を受講しました。
そのとき講師が言いました。
精神疾患は脳機能の問題。
脳は現代医学でもまだ未知の世界です。
私は臨床経験から知っています。
眠ると回復します。
そして死の直前まで細胞は回復へ働きます。
人間の細胞は、今日もせっせと良い方向に働いています。
今朝、カーテンを開けた窓の向こうには、確かに光がありました。