選択の日 三日目
今朝、私はいつものように抹茶を飲んでいた。南紀の空は今日も晴天だった。気温は低いが、太陽の光がやわらかく差し込み、暖房がなくても部屋は少しずつ温まっていく。それでもまだ肌寒く、私はいつものようにストーブに火を灯した。
「あーちゃん、今日は病院だよ。そろそろ限界なんだ。間に合わなくなりそうなんだ」
「行きたくない」と娘は言った。
「うーん、そうだねぇ。まぁ栄養指導だから薬もないし、行かなくてもいいかもね」
私は彼女のプライドを知っていた。回復の過程で、彼女は一度も通院を休んだことがない。それは彼女にとって新しく生まれた誇りだった。私が身支度を整えていると、後ろから声がした。
「もう行けるよ」
彼女の支度は幼い頃から見事に早い。私たちは暖かな光に包まれた青い空と海、冬の少し暗い緑の山々が連なる南紀の曲がりくねった道を走り始めた。たわいもない会話が続く中、私は胸の奥に約十七年間しまっていた提案をそっと口にした。
「シアトルのハイスクール付きコミュニティーカレッジのこと、覚えてる? カレッジの名前はグリーン、だったかなぁ?」
「覚えてるよ。グリーンRiverでしょ」
「実はまだ諦めてないの。あなたの夢だったカリフォルニア大学で学ぶことを。娘は言った。「私だって、もし学べたら夢みたいって思うわ。」不登校で中卒。私は親の責任だと思っているの。子供の学歴は親の責任だと思ってるの。中卒、不登校、治療抵抗性統合失調症、糖尿病の合併症……でも、ママは克服できると思っているの。あなたならば、必ず」
娘の表情がぱっと明るくなった。
「普通の人が聞いたら、また統合失調症の妄想だって思われちゃうから言わないようにしようね」
私は運転しながら、彼女の心に生まれた目標が、この自然の力を吸い上げるように育っていくのを感じていた。病院までの約四時間のドライブは、彼女にとって充電の時間のようだった。
大学病院の栄養指導室に初めて入った。彼女の一年半前のヘモグロビンA1cは10.6、グルコースは約600。私の手料理でA1cは6.0前後まで下がっていた。中心は断食と高タンパク質・ミネラル食。しかし私は限界を感じていた。このやり方は長く続かない。半年間は安定していたが、お正月の一月にA1cは8.2まで跳ね上がり、体重も七キロ増えた。原因はクロザリルによる代謝異常の水太りだった。
私は栄養士に伝えた。
「食材はいいんです。とても良い食材を彼女は選んで食べているのですが、量が多いのです。また今までは私が作っていましたが、これからは彼女が作ることになりました。このタイミングで栄養指導を受けるのはとてもナイスなことだと思うんですよ」
栄養士は食品サンプルを娘の前に並べた。
「これ全部80キロカロリーなんですよ。マグロだったら、赤身はこのぐらい。中トロだったらこの半分です」
彼女が普段食べているものを一つずつ聞き取りながら、視覚的にカロリーを示していく。
「お豆腐もヘルシーな食材でよく食べているが、ペロっと一丁を食べてしまう。80キロカロリーは少し大きなサイコロ位の大きさです。オートミールだったら、一食20グラム、1日60グラムですね。お米のご飯だったら、お茶碗半分程度が80キロカロリー。意外とイカが低カロリーで、海老もそうです」
量を食べたい彼女にとって魅力的な情報だった。
私は続けた。
「はっきりわかったことがあるんですよ。この一ヵ月間ずっと飲んでいた、骨とごぼうと昆布と小豆をミキサーでポタージュにしていたスープを私は作っていなかったんです。かなりの利尿効果があったようですね。そこに玉露をプラスするとさらに効果が増すんじゃないでしょうか」
栄養士は目を丸くしながら言った。
「いいんじゃないですか」
彼女にとって未知のスープだったのかもしれない。気がつくと二時間が経っていた。
その後、糖尿病内科の医師の診察を受けた。医師は言った。
「お正月はよくあることなんですよ。」
「実はごぼうと骨と小豆と昆布のスープをこの二ヵ月間作ってあげてなかったんです。あと水分量がやや取りすぎのようです。管理が必要だと思うんです」
医師は言った。
「確かにナトリウムが低いので水分過多の傾向が見られるが、向精神薬を飲んでいると、どうしてもそうなってしまう」
私は尋ねた。
「先生、ナイアシンって知りませんか? アドレナリンの前駆体に結合すると分泌が抑えられるんですよ。ナイアシンフラッシュの血管拡張効果がとても気持ちよくて、手足も真冬でもポカポカになるんですよ」
医師は笑って言った。
「アドレナリンが抑えられる? 私もナイアシン飲まなきゃいけないかな」
「ナック、N-アセチルシステイン、ご存知ですか?」
「それは知らないなぁ。ビタミンDの非活性型は医師でも飲んでいる人が多いよ」
「それならもう飲んでます。この子は日焼けが嫌いだし、ほとんど外に出ないので飲んでますよ」
医師は少し考えてから言った。
「GLP-1も検討しているが、今のところはメトホルミンを毎食後で継続しましょう」
私は頼んだ。
「先生、毎月の栄養指導をしていただくのは可能でしょうか?」
「もちろん。安定したら期間は伸ばして構いません」
大きな選択ができた瞬間だった。私はこの一年半、孤軍奮闘で娘の血糖値を下げようとしていた。独学で学び、サプリメントや食事を試し、方向性は間違っていなかったのだと思う。ただ量の管理ができなかった。
私はなぜ専門家に頼れなかったのか、自分でも分からない。承認欲求でも、意地でもない。ただ必死だった。それだけが真実だった。
専門家の力を借りる選択を、ようやく素直に受け入れた。
診察後、和歌山市の少し都会の空気に触れた。DVの元夫が置いていったドコモのポケットWi-Fi。誰が支払っているのかわからない謎の機器だ。私たちはソフトバンクを探し、新しいポケットWi-Fiを注文した。届くのは一ヵ月後らしい。
「あなたが置いていったdocomoのポケットWi-Fiは契約者はだれ?」
元夫にメッセージを送ると、着信拒否された。
怪しい。
あやふやな別居状態だった私たちだが、責任と謝罪をはっきりさせる時期が来ている。ここでも孤軍奮闘から、公的機関を選び直した。この件も家庭裁判所の調停で整理しようと思った。
その後、娘の希望でしまむらへ向かった。港区育ちの彼女は、実はブランド品に小学生で飽き、しまむらを愛している。
「ゆっくり選んでていいのよ。ママはずっと待っていられるからね」
しかし彼女の買い物は早い。私を待たせない配慮だ。
「ママ、感動したの。ぽっちゃり素敵コーナーがあるの。ぽっちゃりでもおしゃれなお洋服がたくさんあるの、コーナーになってるの」
彼女はすでに着替えていた。可愛いのに上品で、細く見えるコーディネート。そしてなぜか、クレヨンしんちゃんのシロの肩掛けバッグにキャラクターのチャーム。
「これ必ず流行ると思うよ」
小学生の頃から、彼女の選ぶ服は何度もトレンドになった。Vogueを読んで育った感性は今も健在だった。
次はサイゼリヤへ。
「でもどこにあるんだろうね」
ナビを頼りに車で向かいながら、私たちは笑った。自転車で何店舗も回れた街に住んでいた頃を思い出す。ミラノ風ドリア、ピザ、ドリンクバー。仕事で忙しく、よくここで夕食を取った。手作り料理を作れない罪悪感を抱いていたが、その感情を手放せた。十分おいしく、子供たちは喜んでいたのだから。
TSUTAYAでは、娘が般若心経の解説本を選んだ。高野山の宿坊で触れた厳かな世界と、新しい母がよく唱える影響らしい。和歌山市内の片側二車線道路の走り慣れた道路の脇ではイルミネーションが輝いていた。原宿や目黒川の光景を知る娘は、それでも比べない。
「うわーきれい。すごくきれい」
SMAPの「オンリーワン」を聴いて育った世代らしい感性だ。
やがて高速道路に乗る。車の少ない夜道を走りながら、娘が言った。
「この感じ、空港みたいじゃない?」
「そういえばそうね。夜の空港の滑走路みたい」
私は心の中で祈った。娘の本来の力を思えば、彼女がいつか本当にカリフォルニア大学の門をくぐる可能性は、決して夢物語ではないのだと。私と娘がグリーンリバーカレッジへ向かい、飛行機で日本を飛び立つ日が必ず来ることを。