選択の日15日目 スパティフィラムの根

― スパティフィラムと私

朝7時、電話の音で目が覚めた。
常ちゃんからだった。

「今日来るなら、私9時からマッサージやねん。今来れたらええんやけどな」

「すぐ行けるよ」

早咲きの桜は満開だった。

海岸沿いのくねくね道を走り、トンネルを抜け、勝浦漁港を通る。
和歌山の春は早い。

常ちゃんは
「マグロのカマやで」と言いながら、
いつも中トロを出してくれる。

その気持ちが、あたたかい。

「うちのスパティフィラム、瀕死なんよ」

「これでえーで」

三重の小さな工場で作られている液体だった。

「まだ根があれば助かる」

私は観葉植物用の土を買いに走った。


ベランダは小さい。
でも海と山が見える。

海の底まで透けて、魚が泳いでいるのが見える。

鉢をひっくり返した瞬間、
私は動けなくなった。

時間が止まった。

固まったのは私だったのか、
それとも根だったのか。

根は小さな鉢の形のまま、
ぎゅうぎゅうに固まっていた。

――私だ。

新しい土に広がるくらいなら、
このままでいい。

腐ってもいい。

そんなふうに見えた。

移住してからの私も、
どこか似ていた。

採用はされる。
この土地で、誰にでもできる仕事をするくらいなら、
私は根を張らないほうがいい。

そう思っていた。

でも――

「ここで根を張りたくない」

そう思うことを、やめた。

腐った根を丁寧に取り除くと、
白い根が五、六本残っていた。

生きている。

スパティフィラムは生きている。

私も、生きている。


植え替えた鉢をベランダに置いた。

風を吸わせた。

回復するとき、人はよく眠る。

スパティフィラムも、
眠っているのだろう。


夜。

娘と戸棚を整理した。

積み上がっていた調味料は、
きちんと収まった。

新しい棚は、いらなかった。


深夜。

大西流星のドラマ。

ホテル。
薬物。
包丁。
警察。

画面の中の出来事なのに、
遠い世界ではなかった。

港区に住んでいた頃、
あの空気は特別ではなかった。

六本木の夜は明るく、刺激的で、
少しだけ危うい。

ネオンは優しい顔をしている。

でも、その奥を私は知っている。

少女が包丁を握った瞬間、
娘は息を詰めた。

大西流星が捕まったとき、
娘は泣いた。

理由は聞かなかった。

しばらくして、娘は言った。

「ホスト、やめる」

「田舎で静かに暮らそうね」

ミイが涙をなめていた。


最近、娘は
寝る前のスマホをやめて
本を読んで眠る。

私は布団に入る。

明日の朝、
ベランダをのぞく。

土の表面が少しだけ盛り上がり、
小さな緑が顔を出している。

その瞬間、
スマホに通知が来る。

「振込完了」

そんなことが起きたら、
私は笑ってしまうだろう。

芽と私が
同じ日に立ち上がる。

そんな都合のいいことを想像しながら、
私は眠った。

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