選択の日 2日目 支配を選ばない日

選択の日2日目 支配を選ばない日

私は上着を羽織り、抹茶をすすっていた。
背後から娘の元気な声が聞こえる。

「フレンチトースト作るよ」

私の娘らしい、有言実行型だ。

しばらくすると、フレンチトーストが運ばれてきた。
正直、生焼けだった。

でも私は言った。

「おいしいよー。わあ、おいしい」

娘は何度も聞いてくる。
「本当に?」

「少し焦げちゃったんだ」

そこも私とそっくりだった。
私は昔からパンを焼くのが苦手で、必ず焦げを作ってしまう。

「第二弾があるよ。牛乳飲む?」

「ホットミルクでいいかな」

「もちろん」

温かいホットミルクが運ばれてきた。
そして第二弾のフレンチトースト。

今度は完璧だった。

娘のフレンチトーストは、結局どちらも少し焦げていた。


今日は歯医者の日だった。

数日前から右の奥歯が腫れ、痛み、頬まで膨らんでいた。
二週間前にも激痛を一晩我慢したことがあったが、その後は治まっていた。
それがまた悪化していた。

観念して歯医者に通い始め、抗生物質を飲んでいる。

そして今日は、もう一つ大切な用事があった。

元職場の内部告発だ。

介護施設で違法行為が漫然と行われている職場だった。
電話で通報したが、対応に不満があった。

町議会議員に相談すると、保健所の上層部の方を紹介してくれた。


今まで私は外出するとき、
「私は苦しんでいるんです」と表現するような、だらしない服装でノーメイクだった。

でも今日は違った。

メイクをして、服を選び、
どこから見ても都会の人だった。


娘はまつエクの予約の日だった。

「ママ、歯医者ついて行くよ。待ってる」

「でも早すぎるよ」

「大丈夫、待てるから」

いつの間に、待てる子になったのだろう。

二人で車を走らせた。

いつもの高速道路。
山を抜け、長いトンネルを抜けると、
目の前に広がるのは太平洋。

自然は変わらず、いつもそこにいる。
変わらないでいてほしい。


歯医者では消毒だけで終わった。
腫れは引いていた。

私は長年、自分の歯を大切にしてこなかった。
虫歯が痛んでも我慢していた。

歯医者は面倒だったし、忙しすぎた。

しかし今回、食事も取れないほどの痛みを経験した。
これからはきちんと通おうと決めた。


まつエクまで時間が余ったので、イオンに寄った。

日用品を見ていると、
壊れたコロコロを思い出した。

犬の毛が洋服につく。
それでも私は壊れたコロコロを我慢して使っていた。

最近のコロコロは小さくて使いやすい。

また一つ、我慢から解放された。


娘をまつエクに送り、私は保健所へ向かった。

役職は分からない。
名刺はもらえなかった。

しかし話はとてもスムーズだった。

私は証拠となるLINE、音声データを見せた。
彼女が医行為を認めている録音だ。

職員たちは呆れたように笑った。

私は心の中で思った。
なんて不謹慎なの。

急変は五人。
二人死亡。
二人入院。
一人は窒息死の淵から、私が蘇生した。

私は言った。

「私は医師と連携していると信じていました。でも確認を怠りました。
 だから私も違法行為をしてしまった。
 私の免許はどうなってもいい。」

静かな涙が流れていた。

怒りだと思っていた感情の奥に、
深い悲しみがあった。

職員たちは言った。

「ありがとうございます。気をつけて帰ってください。」


これで私の役割は終わった。

もしかしたら、
これが看護師としての最後の仕事かもしれない。


娘を迎えに行った。

まつエクがよく似合っていた。

三年の入院。
一年の施設生活。
そして移住後の一年半。

娘はきっと、ずっとまつエクをしたかったのだろう。

「我慢してたんだね」

娘は元気だった頃の顔に戻っていた。


その時LINEが鳴った。

新しい母からだった。

「マグロのカマあるよ」

私たちは業務スーパーで買い物をし、
勝浦の新しい母の家へ向かった。

いつものように、
マグロの刺身、卵焼き、昭和の匂いのする料理。

新しい母の寿司飯は絶品だ。

お腹も胸もいっぱいになった。


帰り際、料理を持たせてくれた。

「帰り寝たらあかんで、運転危ないやろ」

家に帰ると、ソファーで眠り込んでいた。
気づくと夜九時。

食材を冷蔵庫にしまい、
娘の通院予約を確認した。


寝室に入ると、娘が眠っていた。
新しいまつげが、彼女をさらに可愛くしていた。

私はほっとした。

そしてふと思った。

今日は犬と一緒に寝たい。

柴犬は猟犬。
うちの犬は人と寝るのが嫌いだ。

それでも私は抱いて布団に入った。

犬は少し抵抗し、私の顔を舐めた。

「大好き。でもそれは嫌なんだ」

そう言っているようだった。

でも私は離さなかった。

今日は甘えたかった。


そのとき、ふと気づいた。

自分の欲求を押し通すとき、
人は小さな優越感を感じる。

私は驚いた。

支配とは、
人に選択させないこと。

そしてそれは、
人によっては快感になる。

私も少し感じた。

しかし思った。

この快感に、私の人生を支配されたくない。


犬は最後、諦めたように腕の中に収まった。

その温かさに包まれながら、
私は深い眠りに吸い込まれていった。

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