アルコール依存症は、身体が壊れてから気づく病気だと思われている。
しかし、私の場合は違った。
肝臓の数値は正常。
それでも、私は確実に壊れていた。
――脳が、底をついていた。
アルコール依存症体験
私は、1425gで生まれた双子の極小未熟児だった。双子の妹は翌日に亡くなった。私は8か月の早産で、自宅で生まれた。
高度医療の病院へ搬送されるとき、自宅で使うお盆と同じ大きさのトレイいっぱいに並べられた注射を、小さな体に次々と打たれてから救急車に乗せられたそうだ。そして当時、日本に3台しかなかったアメリカ製の最新式保育器に入ることができた。
「人工ミルクでは生きられない」
医師にそう告げられ、両親は母乳を病院へ運び続けた。母は「人生で一番おいしいものを、あの時期に食べさせてもらった」と言っていた。両親の執念と医療によって、私は3か月で3000gまで育ち、退院した。
未熟児プログラムというものがあり、離乳食、運動、入浴――一日のすべてが管理されていた。発達に応じて内容は更新され、通院は6歳まで続いた。
幼少期、私は子どもと遊ばなかった。友達は、植物や犬や猫、虫たちだった。人間の子どもは嫌いだった。私の世界に、遠慮なく踏み込んでくる存在だったからだ。
母はよく言った。
「バカと天才は紙一重」
私は、普通の人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえていた子どもだった。
父の実家は大きな農家だった。漬物、梅酒、干し柿――納屋には一族の食べ物が溢れていた。体の弱い私に、祖母はときどき梅酒を飲ませた。それが、異様においしかった。
子どもだからと薄められていたが、私は隠れて原液を飲んでいた。この頃から、すでに普通の子どもとは違っていたのだと思う。アルコールの苦味を、私は苦いと感じなかった。むしろ、惹かれていた。
医師は、私には予防接種は必要ないと判断していた。自然に免疫をつけるしかない身体だった。麻疹、おたふく風邪、風疹――ひととおり経験した。高熱にうなされ、パジャマがびっしょり濡れ、熱が引いていく感覚を体で覚えた。
幼稚園にはほとんど通えなかった。通えば、扁桃腺が腫れ、目が真っ赤に腫れる。それを繰り返した。運動会の日だけ参加したが、他の子どもと同じ行動ができなかった。先生の指示よりも、自分の衝動のほうが強かった。
今で言えば、ADHDの症状だったのだろう。
「この日だけはお利口さんにして」
母はそう頼んだ。私はぶっつけ本番で、どうにか列に並び、目立たずに一日を終えた。
そして七五三の日が来た。
親族は「よくここまで育った」と、神社を貸し切り、まるで結婚式のような祝いをしてくれた。私は晴れ着を着ていた。だが、その日は雨だった。まるで、この先の人生を暗示するような雨だった。
お神酒が運ばれてきた。父、母、私の順に、小皿に日本酒が注がれる。父は一口で飲み干し、母は口をつけるだけだった。
そして、私の番。
母が耳元で小さく言った。
「飲んじゃダメだよ」
私は、その言葉に反発するように、一気に飲み干した。
その瞬間だった。
現実が崩れた。
世界が揺れ、輪郭がほどけ、まったく別の世界が開いた。祝詞の声が遠くなり、私は雨の中、神社の境内を走り回った。晴れ着は泥にまみれた。
それでも親族は笑っていた。
「元気に育った」
「ここまで生きた」
それだけで、十分だったのだ。
この、たった一杯で一変する感覚。
のちに私は、それがアルコール依存症の本質だと知る。アルコール依存症者は、酒を“飲む”のではない。酒に“反応する”。それは快楽というより、ほとんど異常反応に近い。
そして私は学習した。
神社とは、酒が飲める場所だと。
それ以来、私は年に一度のお正月のお神酒を、心から楽しみにするようになった。
この時、私はまだ7歳だった。
この感覚が、35歳で断酒するまで続くとは思っていなかった。
――ここで少しだけ、精神疾患の分類について触れておきたい。————————————————————————————————————————————————————
精神疾患は大きく「内因性」と「外因性」に分けて考えられることがある。
内因性とは、遺伝や体質、脳の機能など、身体の内側に原因があるとされるもの。代表的なものとして、統合失調症や双極性障害が挙げられる。
一方、外因性とは、環境やストレス、薬物、アルコールなど、外からの影響によって生じるものだ。適応障害や、ストレスを契機に発症するうつ状態などは、この文脈で語られることが多い。
ただし実際の臨床では、内因性と外因性ははっきり分かれているわけではなく、両者が重なり合っているケースも少なくない。
日本の精神科医療では、アルコール依存症は「外因性疾患」に分類されている。
つまり、大量飲酒によって耐性が形成され、ホメオスターシス(恒常性)が崩れ、脳が「アルコールがある状態」を正常だと認識するようになる。その結果、アルコールが切れると禁断症状が出現する、という考え方だ。
一方で、アメリカではよりシンプルに「アルコールに対するアレルギー反応」として説明されることもある。
私の体験は、このどちらにも完全には当てはまらない。
私はまだ“慣れていない身体”だった。それでも反応した。
それは、外から入ったアルコールに対する反応でありながら、同時に、内側にある体質が引き起こしたもののようにも思える。
内因か、外因か。
そのどちらか一つではなく、その境界に、私のアルコール体験はあったのかもしれない。
――もう一つ、私が体験から感じていることがある。
多くのアルコール依存症者は、「飲酒は大人になってから」「せいぜい10代から」と記憶していることが多い。
けれど実際には、幼少期にすでにアルコールに触れていた可能性はないだろうか。
祝いの席での一口。
家庭での少量の飲酒。
「これくらいなら」と許された体験。
それらは“飲酒”として記憶に残らないほど、あまりにも自然に日常の中に溶け込んでいる。
だが、身体にとってはどうだったのか。
もしアルコールに対する反応が「最初の摂取」から始まっているとしたら。
その一口は、単なる経験ではなく、“最初の反応”だったのかもしれない。
私にとって、あの七五三の一杯は明確な記憶として残っている。
だが中には、もっと早い段階で始まっていながら、それを覚えていない人もいるのではないか。
アルコール依存症は、「いつから飲み始めたか」ではなく、
「身体がいつ反応したか」で見たほうが、本質に近いのかもしれない。
――もう一つ、私が体験から感じていることがある。
多くのアルコール依存症者は、「飲酒は大人になってから」「せいぜい10代から」と記憶していることが多い。
けれど実際には、幼少期にすでにアルコールに触れていた可能性はないだろうか。
祝いの席での一口。
家庭での少量の飲酒。
「これくらいなら」と許された体験。
それらは“飲酒”として記憶に残らないほど、あまりにも自然に日常の中に溶け込んでいる。
だが、身体にとってはどうだったのか。
もしアルコールに対する反応が「最初の摂取」から始まっているとしたら。
その一口は、単なる経験ではなく、“最初の反応”だったのかもしれない。
私にとって、あの七五三の一杯は明確な記憶として残っている。
だが中には、もっと早い段階で始まっていながら、それを覚えていない人もいるのではないか。