結婚、出産――飲まなきゃ死ぬ、飲んでも死ぬ。
友人の紹介で、中国人の卓球コーチと知り合った。
社会人になっても卓球は続けていたが、明らかにレベルは落ちていた。試合の前日は飲まないと決めていたのに、ある日飲んで出場すると、なぜか調子が良かった。
それからは、試合前にも飲むようになった。
当然のように、結果は崩れていった。
もう卓球はやめよう。そう思った頃、彼と出会った。
彼の卓球は、まるで教科書のように正確だった。
出会ってすぐに求婚された。
「あなたの夢は?」
一流選手に会いたい。スイカを丸ごと食べてみたい。
「簡単だよ」
そう言った。
私は、結婚してはいけない人と結婚してしまった。
彼は、パチンコ依存だった。
毎晩、帰宅は11時過ぎ。パチンコ店が閉まる時間だ。
その帰りを待つ時間が、私の飲酒の時間になった。
やがて長男を妊娠した。
その時だけは、不思議と飲めなかった。母性がアルコールを止めてくれた。
しかし、年子で長女を妊娠した時、分かっていてもビールだけはやめられなかった。
それでも不思議なことに、1リットル程度で止まっていた。
だが、その一年で病気は確実に進行していた。
出産後、私はもう「普通に飲めなくなっていた」。
1リットルも飲めない。
飲むたびに記憶が飛ぶ。
夕食後、台所で飲み始める。
そこから先の記憶がない。
気づくと、夫婦喧嘩が起きている。
気づくと、私は家を飛び出している。
気づくと、体は擦り傷だらけだった。
夫が帰宅したことすら、覚えていない。
ある日、夫が言った。
「お前はアルコール依存症だ」
私は言い返した。
「あなたがパチンコをするから、私は飲むのよ」
「あなたがやめれば、私は飲まない」
地域のケースワーカーを紹介すると言われたが、私は拒否した。
「あなたが悪い」
そう言い続けた。
やがて私は言った。
「こんな生活は嫌だ。離婚したい」
「私はあなたに殺される」
でも本当は――
自分の命が、小さくなっていくのを感じていた。
体重は40キロを下回っていた。
食べずに飲む。
それを繰り返していた。
子どもたちがどう過ごしていたのか、ほとんど覚えていない。
家はゴミ屋敷になっていた。
敷地には空き缶の山。
悪臭がしていた。
夫の友人が、片付けに来た。
それでも私は、「ちゃんと飲めている」と思っていた。
夕食を作り、子どもたちはビデオを見ている。
私はほっとしビールを飲んでいる。
普通の光景だと思っていた。
そこから先が、地獄だったことに気づいていなかった。
ある日、夫が言った。
「お前の娘はすごいな」
「寒い中、お前が外に出ても離れないで、ずっとついている」
「守ってるんだな」
私は驚いた。
――え?私そんなことしてるの?
記憶がないということは、
あの子を守れないということだ。
それは、いけない。
私は誓った。
もう、飲まない。
断酒が始まった。
だが、一週間もしないうちに、空き缶が二本出てきた。
「やめるって言ったよね?」
私は答えた。
「買ってない。飲んでない」
でも、空き缶はそこにあった。
次の週も、また二本。
私は、心から思った。
――これは、自分の意思ではどうにもならない。
どうしたらいいのか分からなかった。
ただ天井を見ていた。
気づくと、体が動かない。
飲むことも、食べることも、できていない。
――何日経ったのかも分からない。
「コップが持てない」
うつ病の人の話を思い出した。
――今の私だ。
その横で、幼い子どもたちがはしゃいでいた。
私は、すべてを失ったわけではなかった。
マイホームもあった。
夫もいた。
子どもたちもいた。
そして、肝臓の数値は正常で、身体もまだ動いていた。
それでも、私は底をついた。
壊れていたのは、身体ではなかった。
脳だった。
考える力。
止める力。
判断する力。
それらが、確実に崩れていた。
飲まないと生きられない。
でも、飲めば壊れていく。
その矛盾の中で、
私はすでに、自分を保てなくなっていた。
これが、私にとっての「底つき」だった。
その時、ふと思った。
――お酒をやめるなら、自助グループに行けばいい。
電話番号を調べて、かけた。
「最寄駅まで迎えに行きます」
親切だった。
でも、どこか怖かった。
約束の時間が来た。
立ち上がると、不思議と体が動いた。
玄関を出ようとしたとき、
子どもたちの笑顔が飛び込んできた。
「ママ、お出かけ?」
——————————————————————————–----------------------------------------------------------------------------------------------------———
アルコール依存症者が病気を認めるためには、「底つき体験」が必要だと言われている。
いわゆる、人生のどん底だ。
では、その「どん底」とは何なのだろうか。
多くの場合、それは「身体のどん底」として現れる。
糖尿病、肝機能障害、腎機能障害、脳梗塞、横紋筋融解症――。
命に関わるレベルの身体症状に襲われ、はじめて医師から断酒を言い渡される。
つまり、人は「死ぬかもしれない」という段階まで追い込まれて、ようやく止まることが多い。
しかし、本来アルコール依存症は、精神疾患である。
もっと正確に言えば、脳の機能異常だ。
アルコール依存症の脳と、正常な脳では、画像上でも明らかな違いがあるとされている。
発達が止まったままの状態や、脳の萎縮が進んでいる状態。
さらに進行すれば、コルサコフ症候群のような不可逆的な障害へと至る。
ここで問題なのは、
「意思の弱さ」ではないということだ。
脳そのものが、「飲め」と命令している状態において、
意思の力だけで抗うことは、極めて困難である。
私は、この事実がもっと広く知られてほしいと、切実に思っている。
アルコール依存症は、性格の問題でも、根性の問題でもない。
脳の病気なのだ。
もしこの理解が広がれば、
私のように、体重が40キロを切るまで、
心も体もボロボロになる前に、
気づける人が、必ず増えるはずだからだ。