アルコール依存症 就職 壊れていないふりをして壊れていく

就職 壊れていないふりをして壊れていく 

――二重生活とコントロールの錯覚

ここから先は、少し話が変わる。

これまでの出来事は、まだ序章にすぎない。

これから、私は病気の本当の姿に向き合っていくことになる。

自分では気づかないまま、少しずつ、確実に進行していくもの。

壊れているのに、壊れていると気づけない状態。

戻れると思っているのに、戻れなくなっていく過程。

――これからが、病気の本当の恐ろしさだった。

父の葬儀が終わり、久しぶりに学校へ行くと、担任の先生が一言だけ言った。

「信じているぞ」

私は、その言葉を裏切ることになる。

部活をやめ、代わりにアルバイトを始めた。

私は自立した高校生になっていた。学費も、遊び代も、自分で稼いだ。月に十万円ほどは稼いでいたと思う。

同じように親を亡くした友人と親しくなった。彼女の家に行くと、私たちはタバコを吸いながら酒を飲んだ。そして泣いた。

言葉はいらなかった。

その場所は、やがてクラスの飲み会の場になっていく。

地元では優等生。

しかし高校の近くでは、喫茶店でタバコを吸い、友人の家では酒を飲む。

家に帰れば、父に線香をあげ、その後また年上の人たちと酒を飲む。

それでも「優等生」の看板は崩れなかった。

やがて高校三年の夏、近所の銀行の支店長が我が家を訪れた。

「ぜひ、お嬢さんを当行へ」

私は推薦のような形で内定をもらい、4月1日の入行式に出席すれば銀行員になれることが決まった。

そして、すべてがうまくいっているように見えた。

――最初の崩れは、歓迎会だった。

花見の途中から、記憶がない。

後で聞いた話では、私は男性二人に抱えられ、吐きながら運ばれ、そのまま家まで送られたという。

同僚が母に頭を下げていた。

「お嬢さんをこんな状態にしてしまって申し訳ありません」

母は、初めて見る私の姿に驚いていた。

家では潰れたことがなかったからだ。

ここから、私の二重生活が始まった。

平日は真面目な銀行員。

週末は六本木か、地元の友人の家で飲み続ける。

飲んでも飲んでも、私は潰れなかった。

ある日、友人と寿司屋で飲んだ。生酒を何本飲んだのか覚えていない。

翌日、忘れた鞄を取りに行くと、板前が言った。

「女の酔っ払いって初めて見たよ。面白いね」

友人は言った。

「一升半は飲んでたよ。こんな飲み方してたら友達なくすよ」

六本木では、潰れないようにビールに限定した。バドワイザーのタワーができるほど飲まされた。

ナンパしてきた男は、相当な金額を払ったのだろう。

それでも私は潰れなかった。

「化物だな」

そう言って男は去っていった。

銀行の付き合いでクラブに行けば、ヘネシーは美味しかった。

でも分かっていた。

――記憶が飛ぶとまずい。

だから酒をコントロールしているつもりだった。

それでも帰り道、焼酎を数本買い、家で飲み直した。

二十代後半になる頃には、体調がおかしくなっていた。

倦怠感、イライラ、集中力の低下。

そしてついに、仕事で大きなミスをした。

窓口業務で、顧客に100万円を渡し忘れたのだ。

職場は騒然となった。

次長が手土産を持って謝罪に行くことになった。

それでも私は、守られていた。

銀行側から来てほしいと望まれて入った人材だったからだ。

気づけば、見た目も変わっていた。

なぜか紫の口紅をつけるようになり、化粧はどんどん濃くなっていった。

銀行員としては明らかに不自然だった。

居心地の悪さを感じ始めていた。

当時は結婚退職が当たり前の時代だった。

自己都合退職は、ほとんど例がなかった。

――ここから先は、さらに崩れていく。

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